豊かな自然のチカラで
育まれる「藍」
どことなく懐かしさを覚える、深い青色の染め物。古くから暮らしの中に溶けこんでいる「藍染」は、欧米諸国からジャパン・ブルーと呼ばれるほどその魅力が認知されています。染料のもとである「蓼藍」をはじめ、素材は全て天然100%。ゆえに、一筋縄では行かない製造工程を辿り、職人が日々「藍」と”対話”をしながら完成までおよそ30日を費やします。「藍染」の背景にある惜しみない手間暇と、伝統を受け継ぐ誇り。そして自然への尊敬こそが、美しい「藍」を誕生させているのです。
Japan blue
「藍」は人類最古の染料
濃青色に染まる唯一の天然染料である「藍」。その歴史は実に世界最古といわれています。日本では平安時代の京都において、藍染のもととなる「蓼藍(白花上小粉)」が栽培されており、鎌倉時代に入ると、武士が一番濃い藍色=褐色(かちいろ)を「勝ち色」と呼び、験担ぎで鎧の下の着物を濃藍色に染めたという逸話もあり、長い歴史を感じさせられます。また「藍」には消臭や抗菌、虫除けなどに効果が期待され、当時の人々の暮らしの中では欠かせない存在でした。

ジャパン・ブルーならではの
深く濃い「藍色」
明治時代に小説家のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が来日した際、家の暖簾などあらゆる物が藍色に染まっているのを見て、「ジャパン・ブルー」と表現したと言われています。風流な日本らしさを纏った色として、彼の目に移ったことでしょう。「蓼藍(白花上小粉)」を利用したこの「藍染」は、「灰汁醗酵建(あくはっこうだて)」と呼ばれる伝統技術で作られており、並々ならぬ手間暇がかかっていることも藍の魅力ならでは。

「藍」ができるまで
脈々とその技術が受け継がれる中、「藍」の存続が危ぶまれた時期がありました。第二次世界大戦を機に、染料のもととなる「蓼藍」の栽培が禁止されてしまったのです。しかし、歴史を絶やさぬよう徳島県の藍屋の17代目佐藤平助氏が必死の思いで栽培を続行。伝統を命懸けで守り抜く職人の誇りが文化を支えてきたのは言うまでもありません。なお、江戸時代に「瑞一(ずいいち)」という一級の称号を独占した「白花小上粉」を栽培していたのも、この徳島県の佐藤家のみ。「藍」に魅せられた職人と自然の恵みによって、「本物」と言わしめる作品が作られています。

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